第5回 桜の手紙コンテスト結果発表【一般部門】
「第5回 桜の手紙コンテスト【一般部門】」の受賞作品を当ページにて発表いたします。
※発表時の個人情報は応募当時のものであり、氏名は敬称略となります
※個人情報については応募時の注意事項を了承したものとみなして掲載します
※受賞のコメントは随時掲載いたします。コメントは抜粋する場合があります。
最 優 秀 賞
中学の卒業式。桜の木の下で真っ赤な顔をして、第二ボタンが欲しいと言ってくれた君。その勇気に今も感謝しています。お互いに六十歳になったけど、これからも宜しく。
茨城県・小林 義明(62)
《コメント》
昨年6月に「道の駅きつれがわ」にて「桜の手紙コンテスト」のパンフレットをたまたま目にしたのが応募の動機です。2年前に教員を定年退職してから「生涯に一冊でよいから自分の本を出したい」を老後の目標とし、日々小説を書いてはコンクールに応募する日々を送っていましたが、全く日の目を見ない状況でした。そうした中、こうした賞をいただき「あきらめずにがんばれ」と叱咤激励された思いです。本当にありがとうございました。中学校の卒業式で制服の第2ボタンをねだられたことは事実ですが、残念ながら現在の妻ではありません。日本中にそうしたご夫婦がいらっしゃるだろうと想像してこの手紙を書きました。
優 秀 賞
「桜が満開だね、お父さん」「そうだね」私の言い間違いに笑って返事をした彼と結婚して、息子が生まれた。また桜の咲く頃に「おじいさん」と言い間違いをしようかな。
愛知県・渡辺 開代子(51)
さくら市氏家観光協会長賞
あの頃、一番とがっていた中学生が、十年経って「教師になる。」と告げに来た。花満ちあふれんばかりの校庭の夜桜が、出藍の誉を願うバトンパスを静かに見届けていた。
滋賀県・作田 まさ代(60))
《コメント》
二年前の突然の再会を人生の節目の記念にしようと筆を執りました。おかげさまで、文中の教え子は今春教壇に立つことになり、先日お祝いの席にて、記念品のガラス製品を贈りました。遠くさくらの美しい街の皆様に、エールをいただいたようで、社会人として温かいスタートがきれたことでしょう。すばらしいご縁をありがとうございました。いつかさくら市を訪れようと思います。
さくら市 氏家郵便局長賞
中学校で、様々な障がいのある君たちの担任となった。何かと受け身の君達が、文化祭で休憩所を作ったんだ。折り紙の桜と音楽を準備し、人を迎える笑顔は忘れないよ。
神奈川県・青木 英二(68)
《コメント》
満開の季節に、春風にのってひとひらの花びらが、私へと舞い降りてきてくれました。賞を受け取った掌には、桜の香りまで漂っているような気がしました。青い空のやわらかな光が、眩しく輝いています。
桜の下で孫と頬寄せあって笑顔で写るお父さん。お父さんが一杯一杯かわいがってくれた孫は教師になり頑張っています。教室にやさしく吹く風になって見に行ってみてね。
静岡県・小野寺 陽子(56)
結婚して毎年桜の季節に墓参りし、お寺の門での家族写真が恒例に。長女次女三女と増え、そして皆嫁ぎ、また二人に戻る。家族の歴史を見守ってくれた桜と妻に有難う。
大阪府・後藤 豊(65)
《コメント》
おなかの大きな妻の写真は、ベビーカーに乗った長女、妻に抱かれた次女、姉二人と手をつなぐ三女と変遷します。毎年大きく美しくなっていく娘三人は私の誇りでした。今は各々二児の母となり子育ての真っ最中。娘には「しんどい事もあるやろが、子どもと暮す時間は案外短い。日々を大切に。ファイト!」とエールを送ります。今年も桜と諸行無常を重ね合わす春がやってきました。
入選
私が先に死んだらいつもの風力発電のプロペラがそびえる所でお花見して呑んでるから、なるべく遅く来てよ。白髪の頭についた花びら取ってあげたら君きっと泣くよ絶対。 千葉県・小久保 文月(44)
昔、父は自作の暗室でピンセットを動かし液の中でだんだん桜が咲いてくるのを見せてくれた。いつも桜が咲く頃、あの匂いがよみがえりなつかしさで胸が一杯になる。 福島県・仁井田 京子(76)
《コメント》
父は素人ながらカメラ大好き人間。一人で三脚カメラバッグ等車につんで出かけておりました。文句言いたかったけど、色々入選するし写真家の土門さんからもおハガキいただくし、少し自慢の父でした。自分で簡易暗室を作り休みの日は一日中暗室です。特に「桜」の写真コンテストではあちこちで毎年入選しておりました。でも、桜の季節、暗室の独特な匂いは今でも忘れられません。今父は桜並木の素敵な霊園に母と一緒におります。母に叱られながらいまかいまかとシャッターチャンスを狙っていることと思います。
私、教員になりました。三人の子育てが一段落して、人生で初めて自分の夢に舵を切ることができました。これでもう誰かのせいにできません。今年の桜は私の入学式です。 埼玉県・本間 麻希(57)
《コメント》
道の駅きつれがわで温泉パンを購入し、遠方に住む娘に送ろうと立ち寄ったところ、チラシを見つけました。〆切りギリギリでしたが、2枚取り、娘にも送ったところ娘も応募してくれました。「桜の手紙」という題材が自分の心にちょうど良いタイミングで目に付いたんだと思います。まさに桜の咲くタイミングで目に付いたんだと思います。まさに桜の咲くタイミングでの嬉しいお知らせでした。
場所取りと称し、前夜から桜の下で飲み明かした友よ。胸に秘めていた夢をついつい語り合ったな。なんか桜って、夢を聴くのが上手だよな。さぁ現実、互いに頑張ろうぜ。 千葉県・森 惇(41)
《コメント》
もう20年近く前、学生時代の頃の話です。あれから大人になり、なかなか思い通りにいかないのが人生です。それでも、桜を見るたびに、あの日を思い出します。今日も一歩、頑張りたいと思います。ありがとうございました。
公園で八十九歳の父は二歳のひ孫の手をひいて低い階段を歩いた。ひ孫の足元だけを見て満開の桜も見ずに一歩一歩。でも、あのとき、桜は二人を見ていたんだよ、きっと。 愛知県・岩瀬 京子(69)
《コメント》
桜の季節にうれしいお便りをいただきました。7年前の春、公園に行ったときの写真が手紙の風景です。その翌年、父は亡くなりましたので、思い出に残る1枚になりました。
お前を産んだ時、桜が満開じゃったと母が言っていた。毎年満開の桜を見ると、母に会えたように感謝して、脳裏には母の若い頃の面影が、うっすら桜色して浮かんでくる。 三重県・櫻井 俊甫(89)
《コメント》
時あたかも母の好きだった満開の桜が、列島を桜色に染めながら北上する中の4月6日、九十歳の誕生日を元気で迎えることができました。しかも、「桜の手紙コンテスト」に拙いながら入選の栄に浴し、賞状や副賞をいただき、しがない恒例の身を正に桜づくしで飾ってくださり、感慨無量であります。願わくは、さくら市の満開の桜に浸りたいです。
山櫻を間近で見られる様にと、幼い私を肩車してくれましたね。愛されていたこと、ちゃんと知っていますよ。絶縁状態のまま逝かせてしまって、どうかお許し下さい。 埼玉県・山田 千晴(62)
《コメント》
父は山桜が好きでした。毎日、我が家のお花見は、山桜がたくさん咲く公園で行われました。その時の思い出です。一人っ子の私は、父に溺愛されました。その父が、家庭を捨てました。その時から私は父の存在そのものを無とし、父との思い出すべてに削除ボタンを押しました。
けれども、私自身が還暦を迎えた頃から、時々思うようになったのです。とても愛されていた、それで十分ではないかと。そしてふと、父を許せなかったのだと気が付きました。自分が、いかに冷徹な人間かを思い知ったのです。その時から(許してもらいたい)と切実に願うようになりました。
今回、私の拙い文を入選に選んでいただきましたことは、ほんの少し「許された」と思える、誠に嬉しい出来事でした。お陰様で、実に清々しい桜の季節を迎えることができました。
言葉が遅いと我が子を案じていた友、咲き始めた桜を観ながら「早咲きの桜は人目を惹くけど、見事に咲く遅咲きの桜もあるさ」と励ましたよね、遅咲きの桜だったね。 佐賀県・横尾 希維子(69)
《コメント》
私が送ったメッセージは、49歳で亡くなった友人宛でした。家も近所、子供の年齢も近かったので、子育ての悩みを話し励まし合ったり些細な出来事に笑い合ったりした友人でした。彼女の次男さんの言葉が遅いと幼稚園からの指導で遠方の教育相談を受けて帰ってきた彼女とお互い涙ながらに話したのは春の日でした。早咲きの桜は人目を惹くけど、満開の頃になるとどの桜の木もピンクの花を咲かせるよ。その頃でも蕾の遅咲きの桜も、結局綺麗に花を咲かせるじゃない、皆咲くのよ! そう話しながら彼女を励ましたことが桜が咲き始める頃になると思い出されます。心配していた次男さんは、誰より優秀でスポーツ万能、愛嬌のある性格で愛される人となり励ました私が恥ずかしくなるほどでした。春になると「淳ちゃん、あの日励ました私の言葉を返してよ」と空に向かって呟いています。
桜が咲くと出不精の夫が私をドライブに誘う。裏山の桜並木をただゆっくりゆっくり走る。「満開だな」「きれいね」。毎年同じ場所、同じ会話。そして毎年幸せだと思う。 鹿児島県・福永 房世(61)
入学式の帰り道、むすっとしたままの娘。思春期だから仕方がないと諦めた瞬間、風が吹いた。桜のシャワーに見惚れる娘。久しぶりに笑顔を見ることができた。桜に感謝。 兵庫県・大恵 やすよ(41)
《コメント》
この度は、素晴らしい賞に選んでいただき、大変うれしく思います。桜の思い出が、また一つ増えました。子どもが小さい頃は、子育て永遠に感じられました。しかし最近では、あの頃がうらやましく思います。子どもとの思い出を一つでも多く残したいです。ありがとうございました。
花作
ガン闘病中にふと「この部屋はねあの桜が独り占めできるのよ。楽しみね」窓の外の一本の桜を指さした母の笑顔を思い出す。一緒に満開の桜が見られて良かった。 大阪府・生越 寛子(44)
《コメント》
すてきな賞をいただき光栄です。花作という文字がコンテストに合う賞ですね。母との思い出がまた鮮やかによみがえる機会に出会えたと思い応募しました。決して悲しい思い出ではなく、母のおだやかなうれしい笑顔をなつかしむ思い出です。
十六年間、君は我が家の春だった。毎年桜の下で撮った写真、君の笑顔が満開だ。去年の夏、君は旅立った。でも、今年も桜は咲く。君の想い出と共に、私も咲き続けるよ。 東京都・並木 和彦(51)
《コメント》
喜連川温泉の宿で募集チラシを拝見したことが応募のきっかけでした。亡き愛犬との桜の思い出を綴った手紙をこのような形でご評価いただけたこと、大変うれしく思います。
今後もさくら市には折に触れて訪れたいと思っております。
庭の桜の木の下で、母の手の海苔巻きをともだちと頬張った。小学二年生の春のこと。毎年、桜の咲くころに想い出す。ああ、もうみんな八一才。懐かしく遠い日。 鳥取県・山本 泰子(81)
《コメント》
裏庭には八重桜がありましたから、母の手の巻きずしを友だちといっしょにいただいたことを思い出して書きました。副賞の鮎おいしくいただいております。本当にありがとうございました。
桜が咲くとお父さんが病院から一時帰宅した日のことを思い出します。あの時の嬉しそうな顔が忘れられないよ。次の春、お父さんを追って医師になる私を見守っていてね。 鹿児島県・沼田 文来(24)
母がまさかの認知症になった。数分前の記憶は消えていく。自己欲求の少ない彼女だが、唯一桜が見たいと言った。来年は一瞬でもいいから桜の記憶を咲かせようね。 愛知県・大野 千鶴(62)
《コメント》
この度は、「花作」というう美しい賞をいただきありがとうございました。驚きと感謝でいっぱいです。
母の病気がわかってから、大変苦悩しましたが、彼女の消えゆく記憶と美しくも儚い桜を重ねて少しでもカタチとして残せたら、という思いで応募させていただきました。
公園のベンチに座って空を見上げる。少し散った桜がまるで月を見せてくすごいね。母さんは。葬儀の日に満開にしてくれるなんて。ひらひら舞い散る沢山の桜。母さんはどの花びらなの? でも確かに天から聞こえた。貴方も精一杯咲きなさいと。 大阪府・本田 美徳(61)
《コメント》
拙作は亡き母の葬儀の時に見事な桜の花が満開になっている情景を綴ったものでしたが、本当に良い記念になり、泉下の母も喜んでいると思います。
栃木県にさくら市という市がある事も初めて知りました。きっとお名前のように桜の綺麗な街なのでしょうね。栃木の方に行く機会があればぜひ訪ねたいです。
「お誕生日おめでとう」入院中の母から深夜の電話。仕事で帰りの遅い娘の為に病を押して。来年はもう言えないから。病院の窓から見た満開の桜。散り際を覚悟した桜。 東京都・永井 清子(57)
《コメント》
桜が美しくその花を咲かせ、確実にやがて散っていくように、人の人生もいつかは必ず終わりを迎えます。だからこそ、その命を精一杯美しく咲かせようと努めることがとても大切なことに思えます。出来る事なら、桜の花が人々をとても幸せな気持ちにさせるように、誰かを喜ばせるような生き方がしたいと。
毎年恒例の親父が眠る墓地での花見。今年もやれたね。母さん九十四歳の春、「来年も行けるかねぇ…」聞こえなかったふりして、おぶってでも連れていくよ。 鹿児島県・北薗 敬(70)
《コメント》
花見は何らかの形で毎年やっております。その流れて応募させてもらいました。入賞して嬉しいのですが、母は2025年の花見をすることなく、2024年の秋に突然亡くなりました。花作の賞状は仏前に供えさせていただきます。ありがとうございました。
今年も又桜散ると繰返した大学受験。大卒肩書き有ればと何万回嘆いたか。桜咲く友人横目に見てジェラシーだけが満開の桜に募る。いっそ散ってしまえ! 葉桜に僕は成る。 兵庫県・長谷川 雅也(62)
《コメント》
人生には表あるところに限らず裏がある。桜咲く上手くいく人もいれば垣根の外へおちる方は限らずいる。ちょっとした明暗が一生左右したり、わずかな出会いが大きく人生変える。私においては嘆きの人生。全て日本の学歴でしか人間を見てくれない社会のシステムに苦難の人生となった。大学受験の18~20歳頃で人間の行く先は大抵決まる。年老いて頑張っても逆転できないのが日本の社会。桜咲くチヤホヤする中、葉桜アウトロー、裏方で私なりの人生咲かせたい!
父は家の窓から見える桜の絵をクレパスであっという間に描いたことがあった。無口な父は、何の特技も趣味もないと思っていた。あの日、素晴らしい父の絵を見て感動。 兵庫県・龍田 さち子(76)
《コメント》
毎年春になると、人の心をほっとさせてくれる桜の花、手紙を書かずにはいられない気持ちで応募しました。そして今回、花作に選んでいただき賞状と副賞までいただいたこと厚く御礼申し上げます。花作、何とステキな言葉でしょうか。本当にありがとうございました。
じいじが旅立った日の桜吹雪のような深い深い霧、覚えてる? あと数時間で私が上京する朝、すんでのところで危篤の報が届いたね。最後に呼んでくれて、ありがとう。 東京都・水鳥 舞美(30)
桜をもう見に行かなくていいと母は言う。歩くのもゆっくりになった母。でも遠慮しないで。また昔のように手を繋いでお花見しよう。ママと見るから、桜は桜なんだよ。 京都府・安江 麻衣子(47)
桜ソングに2年前に旅立った母を想う。亡くなる前日、突然目を開き私たちをじっと見つめ何かを訴えかけている。「幸せだった人」と声をかけると、しっかりと右手を挙げた。 栃木県・手塚 典子(63)
《コメント》
母とは年に数回旅行を楽しみ、まだまだ元気でいると思っていたのに、2022年春、体調をくずし、病院の検査で余命を告げられました。母は手術を受けずに自宅療養を希望し、一ヶ月、知人、友人たちに別れを告げ、旅立って行きました。まだコロナが続く中、入院したら面会もできず、看取ることもできなかったと思います。最後を自宅で過ごせたこと、そして何よりも奇跡が起きたこと。亡くなる数日前から何もうけつけず、ほとんど眠っている状態で、「今日か明日かも」という医師の言葉がうそのように、遠方にいる私の弟がかけつけるまで、命の火を灯し続けたのです。弟が到着した日、眠り続けていた母が自分の旅立ちを分かって、私たちに「今までありがとう、みんな仲良くね」と言っているようでした。そして「幸せだった人ー!」と声をかけると、すーっと右手を挙げたのです。それだけで十分でした。母は人生に悔いを残すことなく天国へと旅立ち、これからもずっと私たちを見守ってくれていると信じています。サクラソング、切なくそしてなつかしく私の心にひびきます。
この度は、この桜の手紙コンテストに応募することで改めて母の姿、言葉、思いを振り返ることができました。ありがとうございました。
桜餅にお花見団子。桜の大福もおいしい。完全に花より団子で、フラれた私に、そっと桜のゼリーを差し出してくれた君。キラキラの笑顔がゼリーみたいに眩しかった。 福井県・大南 光代(48)
《コメント》
ありのままでいいんだよ、と桜の季節に出会った夫はいつも言ってくれます。そんな嬉しさを皆様に伝えたくて応募いたしました。受賞はびっくりしましたが、家族も喜んでくれました。副賞の名産品もとてもおいしそうで、これからいただくのが楽しみです。
お腹にいる君と見た桜が美しかったから、名前に「桜」を入れました。手を繋ぎ歩きながら、ランドセルを背負いながら、いつか私が手を引かれながら、また見に行こうね。 愛知県・大川 有沙(31)
誰も住んでいない実家を更地にします。あなたとお花見した庭のサクラを二人の想い出として、最後に見届けてよね。私のふるさとの拠り所です。アァ、一年生のサクラ! 神奈川県・浦上 由子(85)
《コメント》
今も昔も、さくらの咲く頃は上級学校への進学seasonで、合否の結果を電報・電話・手紙で「桜の花咲く」「桜の花散る」と暗号で知らせたものです。
私は桜咲く4月13日生まれ、2週間後、父は自撮りの「私を抱いた写真」を1枚残し、戦地に赴き戦死。仏壇で毎朝、両親に「生んでくれてありがとう」と祈っています。 東京都・原 忠男(80)
《コメント》
花作との事、ありがとうございました。ちょっとびっくりしました。宅急便で副賞をいただきありがとうございました。家族でいただきます。感謝。
彼岸桜の咲く通りであった。年を重ねることは台本にない風が吹くようなものですね。助手席で昔のあなたなら起きていたはずなのに少女のような顔で眠っていましたよ。 福岡県・三宅 隆吉(84)
来年も桜の花が見られるかな、が口ぐせだったあなた。満開の花びらが音もなく降る春の日、桜のように潔く逝ったね。吸い込まれそうな花の向こうは、もう天国でしたか。 滋賀県・高田 智子(38)
《コメント》
さくらさくら さくら咲き初め咲き終わり何もなかったような公園
俵万智さんの、この歌が好きです。やさしく咲いてぱっと散る。雪ひらのように散りゆく儚さ、少しの間だけふわっと淡く彩って、夢のように消えゆく。桜のような引き際の美しい女性でありたいと思っています。桜へのあこがれと桜のような女性であったあの人への思いを込めて応募しました。
三月十一日、なんてことない一日になるはずだった。春の日に喪った人を思う曲で、あの日を思い出すなんて、あの時は思ってもいなかったんだ。 茨城県・上野 里実(33)
一年の算数で、松葉で桜の花びらを刺して、10の束が一つで10、10の束が五つで50、10の束が十で100。楽しく勉強したことを桜の季節になると思い出す。 茨城県・長沼 航(22)
《コメント》
僕が通った小学校は明治13年に創立。校庭のまわりに巨大な老木の桜。当時は、近所の人達が学校へ車を乗り入れ、ライトをつけて、花見をして楽しんでいたそうです。僕が住んでいる町の花は「さくら」です。学校や公共施設等あらゆる街路樹は桜。四月は桜ふぶきになり、すばらしい光景が見られます。
桜に浮かれ電車に貴重品を置き忘れた時、駅に届け連絡だけくれましたね。申し出たお礼も「今度居酒屋で一杯(笑)」とさらりと辞退して。ありがとう。伊達直人さん。 東京都・早川 俊章(56)
茶飲み仲間の婆三人、セピア色の恋談義で菓子は桜餅です。皮が初恋で塩漬の葉が失恋の味だねと食べ、良いねえ姥桜が恋人で、と私に言う百年時代の甘口は輝いています。 秋田県・今野 芳彦(75)
《コメント》
辞書を片手に原稿用紙と睨めっこしていた爺です。桜の文を何とか書き上げ投函したのに、錆びた脳が忘れ、届いた小包を詐欺ではと疑い見るも「さくら市」とあり、冬眠していた脳が春の目覚めで思い出し、爺婆ニンマリ恵比須顔です。ありがとうございました。