特集 Special 奥州街道を歩く! 2020.03.16 奥州街道 奥州街道は江戸幕府の道中奉行が管轄する五街道(東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道)のひとつです。宇都宮宿から日光街道と別れ白沢、氏家、喜連川、佐久山、大田原、鍋掛、堀越、芦野、白坂を経て白川宿(現在の福島県白河市)に至る道で、さくら市には氏家宿・喜連川宿がありました。氏家宿は街道をはさんで民家や商家が約1㎞にわたり軒を連ねていました。また街道脇である会津西街道、会津中街道、原方街道が奥州街道に合流する交通の要所となった宿場町で多くの人と物が行き交い賑わっていました。喜連川宿は喜連川氏の城下町でもありました。喜連川氏は足利尊氏の子である鎌倉公方初代・足利基氏の系譜を引き、実質五千石でありながら十万石級とされる高い格式を誇っていました。街道沿いには民家・商家が並び、その西側には喜連川氏の館と武家屋敷が並んでいました。芭蕉も歩いた北国への道のりをゆったり散策してみてはいかがですか。 さあ、奥州街道をぶらり散策! ~さくら市の風景写真はこちら~ ❀ さくら市上阿久津 ❀ ☆鬼怒川の渡し跡☆ → 奥州街道にて鬼怒川を渡る場所で、当時は渡し舟が用いられていた。川幅は常に30間程(54メートル)あったが、2月~3月は水量が少なく板橋がかけられていた。 ☆船玉神社☆ → 船中安全と河岸繁栄を願い船魂を祀った神社で、境内の常夜灯の台座には「右奥州道 左江戸道 此方河岸道」とあり道標にもされていた。 ☆与作稲荷大社☆ → 幕末から明治にかけて篤く信仰され、当時は400以上の鳥居が並び、茶屋や旅籠などもあった。市指定文化財の絵馬などが数多く奉納されている。 ☆高尾神社☆ もとは鬼怒川の左岸にあり水の神を祀る神社。安政期に作られた荘厳な白木屋台がある。 ❀ さくら市氏家~櫻野 ❀ ☆堂原地蔵堂☆ → 堂原地蔵堂(どうっぱらじぞうどう)堂内には日光の輪王寺で行われる有名な「強飯式(ごうはんしき)」の由来となった伝説で有名な「そうめん地蔵」が祀られている。 ☆お伊勢の森☆ → 古くから伊勢信仰があり、明治期まで本殿と拝殿が残っていた。あたり一面が森で「お伊勢の森」と呼ばれ、氏家宿に泊まる旅人の見送り・出迎えの場でもあった。 ☆光明寺☆ → 1759年(宝暦9年)に鋳造された高さ3mほどの青銅造り不動明王座像が、氏家の町並みを見守る。鋳造の際に利用された木型の木造不動明王座像は「さくら市ミュージアム」敷地内に安置されている。 ☆西導寺☆ → 鎌倉時代の五輪塔や室町時代の宝冠釈迦如来坐像がある。1673年(延宝元年)建造の弥勒堂や1786年(天明6年)に完成した本堂の内部には天女奏楽などの透かし彫りが飾られ、江戸後期を代表する寺院建造物である。 ☆今宮神社☆ → 1300年(正安2年)に現在の地に遷宮された中世氏家郡の総鎮守。1663年(寛文3年)建造の本殿には浮彫の彫刻が施され江戸初期の面影を残す。また、推定樹齢600年の大イチョウは秋にはライトアップされる。 氏家宿周辺の風景 ☆村上家棟門☆ → 当時の櫻野村の名主・村上家の門で江戸時代中期のもので、1723年(享保8年)の五十里洪水時の水位(1.8m)を示す跡が残っている。 ☆瀧澤家住宅☆ → 明治期に活躍した実業家・瀧澤喜平治の邸宅。1892年(明治25年)の陸軍大演習で明治天皇の小憩所となった。洋風の望楼が乗せられた蔵座敷の景観は県内でも珍しい。 ☆櫻野八幡宮☆ 櫻野村の鎮守で、本殿は1826年(文政9年)に建造された。本殿や拝殿には「本殿上棟式図」や「大相撲図」が奉納され、相撲との関りも深く、境内の土俵では江戸中期から続く奉納相撲が現在も行われている。 ❀ さくら市早乙女~喜連川 ❀ ☆弥五郎坂☆→ 1549年(天文18年)の那須氏と宇都宮氏の古戦場跡。元は早乙女坂と呼ばれていたが、那須方の鮎瀬弥五郎が宇都宮尚綱(ひさつな)を討ったことから弥五郎坂と呼ばれるようになった。 ☆旧奥州街道☆ → 急な坂で長らく難所とされていた場所。1880年(明治13年)に迂回路ができ、使われなくなったが、旧道はそのまま残されている。迂回路には竣工記念の碑が建つ。 ☆連城橋☆ → 喜連川宿の入り口で江戸時代は木橋が掛けられ、橋のたもとには「右江戸道、左下妻道」と刻まれた道標がある。 ☆龍光寺☆ → 喜連川足利家の菩提寺で境内には歴代藩主・正室の墓碑がある。総ケヤキ造りに檜皮葦の厨子(ずし)には足利尊氏座像を模刻した木像がある。 ☆御用堀☆ → 喜連川氏10代熙氏(ひろうじ)の命で作られた水路。喜連川城下に水路を巡らせ、武家屋敷だった横町付近の御用堀は整備され、昔の風情を感じ散策できる。 ☆璉光院☆ → 喜連川家初代国朝(くにとも)やその母の墓碑があり、境内には1688年(貞享5年)に作られた銅造阿弥陀如来像が安置されている。さくら市ゆかりの詩人・野口雨情の歌碑もある。 喜連川宿周辺の風景 ☆喜連川神社☆ → 1563年(永禄6年)に創建され、拝殿の中には喜連川御用絵師・牧野牧陵(まきのぼくりょう)が描いた「神輿渡御図」(みこしとぎょず)の絵馬があり、これは夏の天王祭での「暴れ神輿」の様子を描いている。 ☆喜連川庁舎☆ → さくら市役所喜連川庁舎の入り口には、喜連川家の館跡で大手門が1991年(平成3年)に模擬復元されている。庁舎の南北には家臣たちの武家屋敷があった当時の雰囲気を残している。 ☆専念寺☆ → 喜連川宿の北端にあり、平安時代に作られた阿弥陀如来坐像がある。喜連川家の子女や喜連川藩の御用絵師・牧野牧亮(まきのぼくりょう)の墓碑がある。 ☆金鶏神社☆ 鶏権現と言われ丘のふもとから涌き出す水が旅人の喉を潤したと伝えられる。1909年(明治42年)、喜連川神社と合祀された。