モデルコース

Model Course

さくら市内

SAKURA City

奥州街道を歩く -阿久津河岸周辺-

阿久津河岸は鬼怒川舟運の拠点、会津藩・白川藩などの廻米や特産物を運び繁栄した。

 

1氏家ゆうゆうパーク

氏家ゆうゆうパークは旧氏家町の町制100周年事業として、鬼怒川の河川敷を利用してつくられた公園です。日光連山や那須連山を背景に、鬼怒川のゆったりした流れを楽しみながら一息できる憩いの場で、街中の公園では味わえない豊かな水辺環境に親しめ、様々な体験を通した遊びの発見や感動をもたらします。春には1,560mあるソメイヨシノの桜づつみと周辺の景色が調和し、見事な景観を演出します。
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徒歩3分

2さくら市ミュージアム-荒井寛方記念館-

さくら市出身の日本画家・荒井寛方(あらいかんぽう)の作品や、郷土ゆかりの詩人・野口雨情の作品などを常設展示しています。また、年に10回程度の企画展を中心として、郷土の歴史・文化と自然をふまえたさまざまな活動を展開しています。さくら市出身のノコギリ研究家・吉川金次氏寄贈の約300点の珍しいノコギリコレクションの展示もあります。
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徒歩2分

3勝山城跡・勝山公園

勝山城は、鬼怒川を見下ろす崖端城として鎌倉時代末頃に氏家氏によって築かれ、その後慶長二(1597)年の廃城し、およそ300年の歴史をとじました。現在の塩谷町から芳賀町まで広がる氏家郡24郷支配の拠点で、宇都宮氏の配下として北辺を守る役割も果たす重要な場所でした。現在は、勝山公園とさくら市ミュージアムなどが建っています。
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徒歩18分

4浮島地蔵尊

昔、鬼怒川にて重い石で出来たお地蔵さんがながれてきているのを漁師が拾い上げ、安置したとの伝説を持っています。安産や子育てに御利益があるとして、女性に手厚く信仰されました。

徒歩2分

5船玉神社

阿久津河岸は奥州街道の鬼怒川渡河点にあたり、最上流という地の利を得て、慶長以来、明治の中期まで水陸交通の要地として300年間の繁栄を続けました。鬼怒川上流独特の川船を「小鵜飼船」といい、また、船頭たちが水上安全の守護神として河岸場に祭ったのが、船のみたま・船玉(魂)大明神です。境内は船の形を模して作られたといわれ、舳の位置に神殿がたてられており、一般の神社とは趣を異にしています。

徒歩10分

6川の一里塚

阿久津河岸は鬼怒川舟運の終発地で、氏家宿に各街道を通って集まった奥州の米・江戸の文物が集結する物流の要でした。小鵜飼船(こうかいせん)という小型舟を使い、久保田河岸(現茨城県結城市)へ荷や人を運んでいました。川の一里塚は、堤防の裏のりの面上に盛土して、天端を広げて平場を設け、緑陰や水洗トイレ、情報案内等を設けたもので、川の来訪者の憩いの場として利用され、非常時には水防資材の確保の場や水防活動拠点となりました。

徒歩7分

7与作稲荷神社

嘉永3年(1850年)に上阿久津村と下ヶ橋村との間に地域論争が起き、これを契機に東円寺裏に御神体を祀ったといいます。当時多くの人々が詣で、ご利益があるという事で爆発的な稲荷信仰が起きました。寺の裏の小社には、本殿や拝殿と社地が造営され、多くの鳥居が奉納され、門前に稲荷町ができ、皆の飲食遊興の場となりました。しかし、河岸の衰退とともに、にぎわいも消えていきました。今の社殿は1875(明治8)年にできたもので、その中の奉納絵馬は見事です。

徒歩6分

8高尾神社

水の神である高寵神(たかおかみ)を祀った神社。この神社の鳥居前には、鬼怒川から取水した農業用水を三つに分水して田畑に配分する井関が設けられており、今日でも用水の分水に使われています。高尾神社はこの井関を守護するために、水の神を祀ったものです。また、高尾神社の境内には、和犬型の狛犬があり、農業用水を分水する井関の守護として鎮座しています。現在の社殿は1909(明治42)年に建てられました。

徒歩9分

9将軍地蔵(そうめん地蔵)

平安時代後期、源義家(通称八幡太郎、1039-1106)が奥州に進軍したが鬼怒川釜ヶ渕の悪蛇に阻まれ、宗円(そうえん)法師の祈りで将軍地蔵が出現し悪蛇を退散させたので、勝山城の守護寺院として堂原に将軍山地蔵院満願寺(まんがんじ)を建てました。室町時代に、ここから日光山に修行に行ったお坊さんが意地悪山伏に素麺を無理やり食べさせられ気絶しました。その後、別のお坊さんが来て日光中の素麺を食べつくしたので山伏は降参しました。お坊さんは将軍地蔵の姿となりお坊さんを連れて勝山に帰りました。これから「そうめん地蔵」伝説が生まれ、日光責め・強飯式(ごうはんしき)が起こったと言われています。

徒歩13分

10お伊勢の森

 1908(明治41)年に建てられた「天照大神」の碑があるこの場所は、村境として氏家宿を発つ旅人の見送り、出迎えの場でもありました。
名前は願掛けに伊勢に旅立つ夫を見送り、出迎えた後に子どもを授かったため、この地に伊勢神宮を祀ったという伝説からきています。
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